自由主義と社会主義のつまずき 7

日本は周囲が海ですから国境は一つもありませんが、ユーゴは、アルバニア、ギリシャ、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリーなど7つの国と国境を接しています。


日本は単位置の国家ですが、ユーゴはセルビア、クロチア、マケドニアなど6つの共和国からなる連邦です。


しかもその連邦は、例えばアメリカのような連邦とは違い、州ではなく、それぞれ独立の6つの国があって、それが一つの連合体を作っています。


この連邦のなかに5つの民族が住み、4つの言語を使うから、ユーゴスラビアの人は互いに話しかけても言葉が通じないといったことがしばしば生じるのです。


さらに3つの宗教が支配しています。


ローマ・カトリックとオーソドックスつまり正教、このキリスト教の二つの宗派と、それにもう一つ、全然性格の異なるイスラム教です。


さすがに創価学会 仏壇に向かって祈っている人はここにはいませんが・・・


ヨーロッパでは宗教が違うと生活のスタイルも大きく違ってくるので、これも大変です。


そして二つの文字を使います。


一つはローマ文字、もう一つはギリシャ文字です。


その複雑さは、日本では想像もできないほどです。


・・・こういう国情ですから、中央に権力を全部集めて、全体を中央で統御しようとしても、それはむずかしいのです。

自由主義と社会主義のつまずき 6

最初にユーゴスラビアが離脱しました。


1948年のことです。


当時、チトーが指導していたユーゴスラビアは、東ヨーロッパの共産圏のなかではただ一つ、ソ連の軍隊が入らなかった国です。


ソ連の軍隊によって、いわゆる「解放」がなされたのではなく、チトーが自らパルチザンを組織してナチと戦ったので、ソ連の軍隊は入ってはいなかったのです。


また指導者のチトーは、北ユーゴスラビアの生まれであったが、モスクワに留学、スターリンとは学友のようなものでした。


これらからだけでも、ユーゴスラビアがスターリン体制から離反する可能性は十分にあったのですが、その離反には別の理由も加わっていました。


ユーゴスラビアという国はもともと、スターリンのようなやり方ではやれない国だったのです。


ユーゴスラビアという国は、日本で考えるような「国」ではありません。


むしろECのような連合体に近い連邦です。


多くの独立国があって、それらが同盟を結んでいるような国です。


きわめて複雑な性格をもった国なのです。


ユーゴを旅行するとよく聞かされる諺があります。


「ユーゴスラビアは7つの国と国境を接し、6つの共和国からなり、5つの民族が住み、4つの言語を用い、3つの宗教が支配し、2つの文字を使用し、1つの連邦をなす」


・・・というのがそれです。


その複雑さは日本のような国と比較すればよくわかるでしょう。

自由主義と社会主義のつまずき 5

今日、残留孤児のことが語られるとき、ソ連の侵入のことが一言も出ないことに、私は胸が痛むのです。


日本の北方領土は、今は完全にロシア領とされていますが、あれも戦争が終わった後の9月に入ってからのことです。


東欧諸国についていうと、これは占領されたわけではありませんが、ここでもソ連の軍隊が入ったところは、いまだにロシアの支配下に置かれています。


これらすべて、結局はヤルタ会談その他でのスターリンの政治的手腕に負うところが大きかったわけです。


そして中国も、ほどなく台湾を除く全土が共産化します。


こうして共産圏は一挙に世界の陸地面積の3分の1、人口では3分の1をはるかに越える地域に拡大し、スターリンはその全域に自らの体制を押しつけました。


スターリンというのはもともとペンネームで、「鋼鉄の人」というほどの意味です。


彼はその名の通り、鉄のような集権主義者で、完全な独裁制を確立したのです。


全体主義的社会主義の一つの典型です。


先に述べたように、西側では社会主義者でさえ、「こういうやり方は社会主義を名とした専制主義だ」と決めつけてきました。


しかしながら、間もなく共産圏の内部において、こうしたスターリン体制からの離脱が始まるのです。

自由主義と社会主義のつまずき 4

スターリン体制とユーゴスラビアの離反実際に全体主義的社会主義を典型的に示したのはスターリン体制でした。


1928年のソ連の第一次5力年計画の開始以来、1953年にスターリンが亡くなるまで、戦争の時代をはさんでソ連はずっとスターリンの時代でした。


ロシアが今日のように強大な大国となり、共産圏が一挙に世界を二分する勢力に拡大したのは、ことに第二次大戦の終結に際してのスターリンの政治的手腕によるといってもいいのです。


終戦間近いヤルタ会談のとき、ルーズベルトとチャーチルが疲れ果ててこっくりこっくり居眠りをしているのに、スターリンだけは元気にはしゃいでいたといわれています。


それほどに精力的で、疲れを知らぬ政治家だったわけです。


日本が敗戦を目前にして疲れ果てていたところにソ連が一方的に参戦し、まず満州(中国東北部)に侵入してきました。


そのとき、国境地帯の開拓団はほとんどやられたのです。


いわゆる中国残留孤児というのは、ソ連が侵入しなかったら出なかったはずです。


その孤児を育ててくれたのが中国人です。

自由主義と社会主義のつまずき 3

ある人は修正資本主義といい、マルクス主義者、とくに日本のマルクス主義者はこれを国家独占資本主義といいます。


しかし、これらの言葉はイデオロギー的です。


ことに国家独占資本主義というと、別の意味で用いられることもあります。


例えば、ユーゴスラビアでは国家独占資本主義というと、主としてソ連のことをさしています。


ソ連こそ、あらゆる資本を国家が独占しているではないか、というわけであり、ソ連を非難する意味あいがこめられています。


しかし、日本で国家独占資本主義というと、大恐慌以後の西側資本主義国のことをいうのです。


こうしたイデオロギー的色彩をもつ言葉を避けようとするならば、混合体制というのがよいでしょう。


自由諸国は1930年代から大なり小なりそのような体制になり、今日はますますその傾向にあります。


どの自由主義国でも、昔の個人主義的な自由主義ではなく、社会保障が広く行われ、総合的な経済計画が立てられて、社会主義的要素が強く入ってきています。


一方、集権主義的・全体主義的社会主義の側でも大きな変化が生じてきました。


それについて、共産圏の動きに注意してみましょう。

自由主義と社会主義のつまずき 2

個人の自由なやり方ではいけないといって、中央に権力を集中させ、中央で何もかもを決定し計画してしまうという形の社会主義が強力になってきました。


今世紀の初めのことです。


典型的なのはマルクス・レーニン主義です。


あらゆる決定権を中央に集めて、これを共産党が一党で独裁するというやり方です。


西側の社会主義者は、「そんなものは社会主義でもなんでもなく、専制主義だ」といって非難しました。


社会主義は民主主義でなくてはならず、民主主義でないような社会主義は社会主義ではない、というわけです。


流動する社会体制ー自由諸国の社会化と共産圏の自由化ところが、近代を支配してきた個人主義的自由主義と全体主義的社会主義、これらの両極の一元体制はともに行きづまってきました。


まず個人主義的な自由主義が、1930年代には、これではやっていけないことがはっきりしてきました。


30年代の大恐慌を境にして、どの自由主義の国でも、国家が経済や社会に総合的・計画的に介入し干渉するようになってきました。


こうして自由主義体制といっても、今日では完全に自由な一元体制ではなくなり、自由と統御の二元的な体制です。


中央の統御と個々の自由、計画原理と市場原理の二つが出合った体制です。


これを混合体制と呼んでいます。

自由主義と社会主義のつまずき

社会体制の角度から、近代の特徴とその展開を見てみましょう。


この面から見ると、近代は何よりも個人の権利の主張に始まりました。


人格よりも個人が前面に出てきました。


そこでまず社会体制としては、19世紀に個人主義的な自由主義が力をもってきました。


これはまったくの自由競争の体制です。


しかし、まったくの自由競争は、当然、力の強い者にとっては自由であっても弱い者にとっては不自由となります。


それは強い者勝ちの体制となるからです。


こうして、弱い人々はその権利もしぼしば踏みにじられます。


そこで、こういう個人主義的な自由放任の体制にたいして反発が起こってきました。


これが近代の社会主義です。


生協活動もそこに根ざしているのです。


しかし、現実に政治的に力をもってきた社会主義は、全体主義的な、あるいは集権主義的な社会主義でした。

漁師と木の精

沖縄ツアーなどで多くの観光客が訪れる沖縄ですが、その民話はあまり知られていません。


今日はひとつ、その中で怪奇物語といわれているものを紹介します。


あるところに夜釣りの好きな鮫どんという男がいました。


ある夜、村人に釣り場をおしえずひとりで釣りをする鮫どんの元に、誰かがやってきて声をかけました。


「わたしは魚をとることを知らないのでね。


音に聞こえた漁上手の鮫どんの夜釣りをみせてもらいにきたのですよ」


そのくせ、その人も釣りの支度をしていました。


「教えていただきながらわたしも糸をたれて、とれた魚は鮫どんに持って帰ってもらう。


それではいかがなものでしょう」


鮫どんは、相手が小さくて弱そうにみえる上に、漁上手と自分を賞めるので警戒心をときました。


少年か老人か、年齢のわからない小柄な男は、邪気の無い笑顔をみせて、腰にまきつけていた抱ちびんをはずして鮫どんに渡しました。


鮫どんは大好きな泡盛をみやげにもらって、いっそううれしくなりました。


いったいどこまでこのおれさまのことが聞こえているのだろう。


おれの酒好きまで知っているとは……。


「お前はどこからきたんだ。何ていう名だ。この泡盛はうまいねえ」


こくこくともらった抱ちびんの泡盛を飲みながら、鮫どんはいい気分になりました。


「ま、おれのすることをよくみておればわかるさ。助けはしても、邪魔をするなよ」


なにを言っても、小柄な男はきれいな笑顔でうなずいています。


そして、竿のうちかたも糸のひきかたも鮫どんが一度教えれば、たちまちに覚えてしまい、鮫どんと同じほどに魚をとりました。


鮫どんは二人分の魚をになって家に帰りました。


男の漁してきたぴちぴちの魚を桶にいれ、妻女が頭にのせて売りにゆくのです。


朝早くから、いきのいい魚を売り歩く女たちの明るい声が、そしてどっしりとしたその腰つきが、漁師の妻たちの誇りなのです。

キャリアウーマンのライフスタイル

人間を観察し、分類していくうえで、男女を問わず、その人の「ライフスタイル」が一つの焦点になるのは当然です。


かつての、「モーレツ社員」型と「マイホーム主義」型の分類などは、その代表的なケースでした。


女性の上司についても、その視点は必要でしょう。


とくに近年は、女性ながらも「単身赴任」といった事例が増えており、ライフスタイルからの分析はますます重要になってきたと思います。


以下、私なりの試みとして、いくつかの側面からアプローチしてみたいのです。


キャリアウーマンの単身赴任というのは、当然ながら彼女が「世帯持ち」であるから生ずるケースです。


その一方、近年の日本では、男女を問わず「なかなか結婚しない人」が増えています。


だいたい日本は、先進国のなかでは珍しく「結婚率」の高い国、といわれてきました。


欧米諸国では「結婚しない人」の比率が、男女とも1割近いのに、日本では2~3%にとどまるといった数字も挙げられています。


ですから、近年の「なかなか結婚しない人」の増加は、成熟社会化の一つの側面であり、不思議ではないともいえます。


そうした全体的な傾向のなかで、キャリアウーマンにおける「結婚していない人の比率」が高いのも、常識のうちでしょう。


派遣 千葉などの勤労女性の一般的なライフサイクルを見ても、「結婚退職」の例は大幅に減ってきており、主流は「出産退職」に移っています。

企業と消費者のリサイクル問題

こんにちは。


今回は「企業と消費者のリサイクル問題」について。


しょう油などの容器をめぐる企業の責任や対応について重要なことは、まず第一に、ユーザー、つまり消費者とのコミュニケーションを良くすることだと思います。


多くの消費者は、環境やごみ・リサイクル問題からみてより望ましい商品や容器を使う気持ちを持っています。


それはリサイクルトナーなどの利用が増えていることからもわかります。


・・・にもかかわらず、使い捨ての製品が売れるのは消費者がそれを望むからだ、といったような「消費者ニーズ論」は、消費者と生産者との間のコミュニケーションの乏しさを示す証でしょう。


さもなければ、このような消費者ニーズは、企業にとって都合のいいように作り出されたきらいがあるのは否定できません。


第二は、企業の意思決定の仕組みについてです。


消費者との直接的なつながりが比較的強いメーカーやボトラーは、従前から消費者対策関連の組織を設けてきました。


こうした組織に属する社員は、社外における環境問題、ごみ問題をめぐる動きに眼を向け、時には企業や業界と消費者との対話集会などにも出席する機会を持っています。


彼らは消費者運動や行政対応の現状にも通じており、問題によっては消費者サイドの言い分に理解を示してきました。


また最近では、環境問題の世界的な高まりのもとで、環境対策室といったセクションを設置する企業もではじめています。