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2011年02月 アーカイブ

自由主義と社会主義のつまずき 5

今日、残留孤児のことが語られるとき、ソ連の侵入のことが一言も出ないことに、私は胸が痛むのです。


日本の北方領土は、今は完全にロシア領とされていますが、あれも戦争が終わった後の9月に入ってからのことです。


東欧諸国についていうと、これは占領されたわけではありませんが、ここでもソ連の軍隊が入ったところは、いまだにロシアの支配下に置かれています。


これらすべて、結局はヤルタ会談その他でのスターリンの政治的手腕に負うところが大きかったわけです。


そして中国も、ほどなく台湾を除く全土が共産化します。


こうして共産圏は一挙に世界の陸地面積の3分の1、人口では3分の1をはるかに越える地域に拡大し、スターリンはその全域に自らの体制を押しつけました。


スターリンというのはもともとペンネームで、「鋼鉄の人」というほどの意味です。


彼はその名の通り、鉄のような集権主義者で、完全な独裁制を確立したのです。


全体主義的社会主義の一つの典型です。


先に述べたように、西側では社会主義者でさえ、「こういうやり方は社会主義を名とした専制主義だ」と決めつけてきました。


しかしながら、間もなく共産圏の内部において、こうしたスターリン体制からの離脱が始まるのです。

自由主義と社会主義のつまずき 6

最初にユーゴスラビアが離脱しました。


1948年のことです。


当時、チトーが指導していたユーゴスラビアは、東ヨーロッパの共産圏のなかではただ一つ、ソ連の軍隊が入らなかった国です。


ソ連の軍隊によって、いわゆる「解放」がなされたのではなく、チトーが自らパルチザンを組織してナチと戦ったので、ソ連の軍隊は入ってはいなかったのです。


また指導者のチトーは、北ユーゴスラビアの生まれであったが、モスクワに留学、スターリンとは学友のようなものでした。


これらからだけでも、ユーゴスラビアがスターリン体制から離反する可能性は十分にあったのですが、その離反には別の理由も加わっていました。


ユーゴスラビアという国はもともと、スターリンのようなやり方ではやれない国だったのです。


ユーゴスラビアという国は、日本で考えるような「国」ではありません。


むしろECのような連合体に近い連邦です。


多くの独立国があって、それらが同盟を結んでいるような国です。


きわめて複雑な性格をもった国なのです。


ユーゴを旅行するとよく聞かされる諺があります。


「ユーゴスラビアは7つの国と国境を接し、6つの共和国からなり、5つの民族が住み、4つの言語を用い、3つの宗教が支配し、2つの文字を使用し、1つの連邦をなす」


・・・というのがそれです。


その複雑さは日本のような国と比較すればよくわかるでしょう。

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