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2011年01月 アーカイブ

自由主義と社会主義のつまずき 3

ある人は修正資本主義といい、マルクス主義者、とくに日本のマルクス主義者はこれを国家独占資本主義といいます。


しかし、これらの言葉はイデオロギー的です。


ことに国家独占資本主義というと、別の意味で用いられることもあります。


例えば、ユーゴスラビアでは国家独占資本主義というと、主としてソ連のことをさしています。


ソ連こそ、あらゆる資本を国家が独占しているではないか、というわけであり、ソ連を非難する意味あいがこめられています。


しかし、日本で国家独占資本主義というと、大恐慌以後の西側資本主義国のことをいうのです。


こうしたイデオロギー的色彩をもつ言葉を避けようとするならば、混合体制というのがよいでしょう。


自由諸国は1930年代から大なり小なりそのような体制になり、今日はますますその傾向にあります。


どの自由主義国でも、昔の個人主義的な自由主義ではなく、社会保障が広く行われ、総合的な経済計画が立てられて、社会主義的要素が強く入ってきています。


一方、集権主義的・全体主義的社会主義の側でも大きな変化が生じてきました。


それについて、共産圏の動きに注意してみましょう。

自由主義と社会主義のつまずき 4

スターリン体制とユーゴスラビアの離反実際に全体主義的社会主義を典型的に示したのはスターリン体制でした。


1928年のソ連の第一次5力年計画の開始以来、1953年にスターリンが亡くなるまで、戦争の時代をはさんでソ連はずっとスターリンの時代でした。


ロシアが今日のように強大な大国となり、共産圏が一挙に世界を二分する勢力に拡大したのは、ことに第二次大戦の終結に際してのスターリンの政治的手腕によるといってもいいのです。


終戦間近いヤルタ会談のとき、ルーズベルトとチャーチルが疲れ果ててこっくりこっくり居眠りをしているのに、スターリンだけは元気にはしゃいでいたといわれています。


それほどに精力的で、疲れを知らぬ政治家だったわけです。


日本が敗戦を目前にして疲れ果てていたところにソ連が一方的に参戦し、まず満州(中国東北部)に侵入してきました。


そのとき、国境地帯の開拓団はほとんどやられたのです。


いわゆる中国残留孤児というのは、ソ連が侵入しなかったら出なかったはずです。


その孤児を育ててくれたのが中国人です。

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