目黒をぶらりと散歩 2
一九三五年、美術界のクーデターといわれる「松田改組」事件が起こった。
これは時の文相、松田源治が無鑑査を減らすなど、帝展のあり方にメスを入れたもので、画壇は賛否入り乱れての大騒動となった。
この時、目黒雅叙園では帝展無鑑査グループがしばしば会合をもち、細川社長も彼らを側面から援助した。
この時の縁で鏑木清方、松林桂月ら多くの画家が細川社長の依頼によって、新築中の目黒雅叙園の客間装飾に従事することになり技を競った。
彼らは画室を与えられ三カ月から一年かけて軸物、屏風絵、天井画、欄間絵、額絵の制作にあたり、これが今日の目黒雅叙園コレクションの中心となったのである。
「当時うちによばれて描くことは、画家どして最大の名誉だと言われていたようですよ」と社長はいう。